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2007年9月12日 オオスズメバチ
K10D+PENTAX smc D FA Macro 100mm
いつものように、朝の一服を兼ねて、庭のクチナシにオオスカシバの幼虫を観に行った。朝早くから若葉をバリバリと、美味しそうに食べている。と、そこへ突然「ブ〜ン」という羽音とともに、大きなスズメバチがやってきた。そして迷うことなくオオスカシバの幼虫を捕まえる。直後には、ドロッとしたオオスカシバの体液が下に垂れ、その体がみるみる萎んでゆく。カメラを取って再び戻った時には、ご覧の状態だった。
オオスカシバに思い入れのあった立場としては「なんと惨いことだ」と感じたが、その私はというと、海の幸の活作りに舌鼓を打っている。しかも種の存続という純粋な動機の彼等に比べて、こちらには娯楽的要素も含まれている。さらには「美味い、不味い」などと評し、食べ残しさえする。恥ずかしいことだ。だから食べる前には、「ごめんなさい」の意を含む「いただきます」を必ず行う。私に食べられるために生まれてきた いのち など、一つもないのだ。どの いのち も「食べないで、捕まえないで、殺さないで」と言うだろう。その いのち を奪わなければ生きてゆけない私。だから粗末にしてはならない。それでもいい加減な私の心は、日常の中で麻痺してしまう。だから食べる前に必ず「いただきます」を行う。それで許しを請うわけではないし、許されるとも思わない。ただただ「ごめんなさい」だ。そして奪うことによって支えられている、この いのち を粗末にせず、いただいている今を精一杯過ごすことを忘れぬためにも「いただきます」をする。そこに初めて感謝の念が生じる。
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