2016年10月17日 裏山で出会った虫達
1週間ぶりの更新だ。最近は少し気を抜くと、すぐに更新期間があいてしまう。この写真も1週間前に撮って放置状態だった。
裏山のアラカシ(だと思う)の幹に、オオスズメバチがいた。スズメバチが大好きなクヌギの樹液は、もうほとんど出ておらず、このように少しでも出ている木に集まってくる。
Panasonic LUMIX GH3 + LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8
墓地周辺の雑草の中の1本に、とても細長いイモムシがいた。黒を基調として、朱・橙・白のスジ模様がある、とても綺麗なイモムシだ。これはナカグロクチバの幼虫で、成虫は先月掲載したばかりだ。
OLYMPUS STYLUS TG-4 Tough
ところで、上に「雑草の中の・・・」と書いたが、もしかしたら「雑草と言う名の草はない。」という昭和天皇のお言葉を思われた方があるかもしれない。有名な言葉だし、おっしゃりたいことは分かるのだが、正直なところ違和感を憶える。
なぜなら「雑草」とは特定の植物の固有名詞として使われているのではなく、「雑」は「多くのものが集まっている」という意味であり、「雑草」とは多くの草(植物)が集まっている状況をさす普通名詞にあたると思われるからだ。
「雑学」は「ダメな学問」という意味ではないし、「雑木林」は「ダメな木ばかりの林」ではない。だから決して「雑草=つまらない植物、役に立たない植物」というわけではない。
ただし、私は昭和天皇を批判しているのではない。出拠である『宮中侍従物語』(入江相政)の言葉が一人歩きをし、一部の人達が「こんな着眼点はどうだ!」と得意げになっているような言動が鼻についてしまうのである。「人の命は地球より重い」というアレと同じである。
響きのよい言葉は、それを伝える立場に立った時に、話し手にとても心地よいものを与える。しかし言葉の上っ面だけに流されて、物事の本質を見失ってはならないと思う。