2017年03月08日 空蝉
久しぶりの更新。今日は寒の戻りがあり、朝の内はミゾレがちらつく寒い1日だった。
事務仕事の息抜きに、庭の草抜きをしていると、落ち葉の上にアブラゼミの抜け殻が落ちていた。
OLYMPUS STYLUS TG-4 Tough
セミの抜け殻のことを空蝉(うつせみ)という。空蝉という言葉を初めて意識したのは、幼い頃読んだマンガ『カムイ外伝』第一部のタイトルだったし、空蝉という言葉の意味を味わったのは中学生の頃聴いた、山口百恵の『ドラマチック』というアルバムの中の曲でだ。
調べてみると面白いもので、空蝉は現世や現世の人をあらわす「現人(うつしおみ)」が語源であるとか、そもそも「せみ」そのものが「抜け殻」をあらわす言葉であったとか、なかなか奥が深い。
いずれにしろ「中身が無い空っぽ」である空蝉が、現世・現世の人をあらわすのは興味深い。聖徳太子の「世間虚仮」や、豊臣秀吉の「夢のまた夢」等の言葉を連想する。確かに現世のあれやこれやに、血眼になって執着するのは空しい。空しいけれども、そこに喜怒哀楽を見、離れることができないのもまた現実である。