2000.12.01 ウラギンシジミ
「今日から12月だよね?」って尋ねたくなるくらい暖かい一日だった。 自宅裏の畑にはキチョウやキタテハなど、成虫で越冬するチョウが舞っていた。 写真は大根の葉にとまってひと休みしていたウラギンシジミのオス。 写真の角度ではちょっとわかりにくいが、羽はかなりボロボロになっていた。 先月の散策記に載せたヒメアカタテハほどボロボロではなかったが、このウラギンシジミの羽のくたびれ方も痛ましい。 しかし昆虫のすごいところは、少々羽が破れていても自由に飛び回れることだ。 例えば、人間が造った飛行機などは、翼に少しでも損傷があればまともに飛ぶことはできない。 自動車にしてもタイヤが一つでも損傷すればまともに走らない。 人間は自らを“霊長”と呼び、万物の長のつもりでいるが、昆虫にかなわない点も多いのである。 童謡詩人・金子みすゞの「わたしと小鳥とすずと」という詩がある。
 わたしが両手をひろげても、 お空はちっとも飛べないが、
 飛べる小鳥はわたしのように、 地面をはやくは走れない。
 わたしがからだをゆすっても、 きれいな音はでないけど、
 あの鳴るすずはわたしのように、 たくさんなうたは知らないよ。
 すずと、小鳥と、それからわたし、 みんなちがって、みんないい。
人間は「自分が一番、他は劣る」という感覚を抱いた時、とても恐ろしい存在になる。 政治にしろ文化にしろ宗教にしろ、他を認める姿勢を欠いてしまうと、争い相手を傷つけてしまう。 ましてや相手が言葉を発せない動物や昆虫、植物となると、その存在をいとも簡単に消去してしまう。 私もその行為に加担している一人なのだが、可能な限り相手の立場に立って自らの行為を見つめてゆきたいと思う。