- 2001.06.04
- 先月は久しぶりにCDを買った。 DEPECHE MODEの4年ぶりの新譜「EXCITER」と、小田和正の「LOOKING
BACK 2」だ。 全く接点の無い両者のようだが、自身の音楽を“内に向かって深めてゆく”という姿勢に共通点を感じる。 実は私は24年来のオフコースファンだ。 男でオフコースファンだと言うと、多くの人が「え?」といった表情をする。 でも好きなものは好きだ。 頑なに自己のスタイルを深めてゆくという姿勢が好きなのだ。 以前Yahooか何かの掲示板で、「小田和正の音楽は皆同じに聴こえるからつまらない」という発言があった。 そりゃそうだろう、同じ人間が作っているんだから。 私にしてみれば、その時々の流行のサウンドを無節操に取り入れるミュージシャンの方が面白くない。 もちろん、ゼロから新しいものを創りだすことは不可能に近い。 誰しもが最初はコピーから始まる。 日本のバンドで大御所とされるB'zだって、その出世作である「Bad
communion」はレッド・ツェッペリンのもろパクリだ。 そこから如何に深めてゆくかが“創る音楽”(“聴く音楽”とはまた観点が違う)だと思う。 売れるために、有名になるために作られる音楽は、やはり面白くないものだ。 私は深めきれずに挫折したけど・・・。
- 2001.02.03
- 今年始めての“ひとりごと”になる。
実は今、新しいMacを買おうかどうしようか悩んでいる真っ最中なのだ。 今使用しているパソコンは、1997年に買ったPowerMac7600と1999年に買ったPowerBook
G3/333の2台で、PowerMacの方は実は殆ど使ってなくて、専らPowerBookをメインマシンとして使用している。 特にPowerBookに不満があるってこともないんだけど、やはり高性能なデスクトップマシンも欲しいなと、常々考えていたのだ。 そこで、今候補にしているのが新しいPowerMac
G4(533MHzか466MHzかで悩んでいるが)を第1候補としている状況だ。
私の周囲には、やはりWindowsマシンを使用している人の方が多く、「何故Macにこだわるの?」と尋ねられることもある。 もちろん初めに使ったのがMacだったってこともあるけど、それだけではない。 私は元々“こだわり”のあるものが好きなのだ。 たとえば車だったらHONDAが好きで、これまでHONDA車を7台乗り継いできた。 TOYOTA車が劣っているというのではない。 TOYOTA車の完成度が高いのはよく分かっているが、あまりにシェアが高すぎて反発してしまうのだ。 一方のHONDAは、後発メーカーならではのユニークな発送とチャレンジング精神、反骨精神、そして革新的な技術をもってここまで伸びてきたメーカーだ。 そういう意味では、SONYというメーカーも好きだった。
私のように田舎に住んでいると、実際Macを使っていて、扱っているショップが少なかったり、電器店に行ってもソフトを置いてなかったり、本を探すのにも一苦労するってこともあるけど、それらはインターネットの普及によって、殆ど問題にならなくなった。 よく「Windowsの方がソフトや周辺機器の種類が圧倒的に多いよ」という人もいるが、個人で購入するソフトや周辺機器なんてたかが知れてる。 それよりも実際の操作感・・・例えばマウスに対するポインタの動きとか、キーボードのタッチ感とか、システムの全体像の把握のしやすさとかを考えた場合、私にとってはMacの方が好ましいし、またそういったところにAppleというメーカーのこだわりを感じてしまう。
Windowsがダメだというのではない。 圧倒的なシェアを持ち、現実に使用するかどうかは別にしてソフトや周辺機器の選択肢も圧倒的に多く、しかも本体の価格が安いし、何より大半の人は「会社がWindowsを使っている」と思う。 そういう点ではMacよりも断然勝れている。
要は価値観だと思う。 個人使用においては、どちらでも“できること”は同じだから、後は数の安心感と価格で選ぶか、“好き”という感情で選ぶかの違いだと思う。 そして、その是非を問うのは実にナンセンスだと思う。 私はMacが好きだから、使用感が気に入っているからMacを使用するのだ。 そして今、新しいマシンを買おうかどうしようか迷っている。 実はこれが一番楽しい時なんですよね(笑)。
- 2000.11.26
- 3ヶ月以上サボッていた「ひとりごと」のコーナー。 ここはHP開設当初は、「散策記」とは別に、個人的な趣味のことや社会的なことでも綴ってゆこうかな、と思って設置したのだが、「散策記」でも結構好き勝手なことを書いているので、長いことほったらかしにしていた。 今日の午前中は比較的時間にゆとりがあるので、久しぶりに書いてみようと思う。
先日Yahooオークションで、KORG 05R/W という音源を落札した。 音源というのは、鍵盤のついてないシンセサイザーのようなものだ。 非常にコンパクトで、それでいてCDクオリティの様々な音が得られる。 楽器の類いを買ったのは実に3年ぶりだ。 つまりこの3年間、音楽の方はもっぱら聴く側にまわってしまい、創ることを忘れてしまっていた。 最近MacでのHDD(ハードディスクレコーディング)からCD−Rへの焼き付けによって、自作CDを比較的高音質で製作できるようになったので、ここはひとつ音源を増やしてみようかと、久しぶりに燃えてきたのだった。
そういえば最近はビートルズがブームである。 私個人的にはビートルズにはあまり傾倒しなかったのだが、もちろん嫌いではない(特に後期は)。 しかし、どちらかというと哀愁を帯びたちょっと暗いサウンドが好きな私は(笑)、S&Gの方が好きだった。 いずれにしても、60〜70年代の音楽は私の中ではあまり大きな存在ではない。 私は70年代末期から80年代のロックをこよなく愛しているのだ。 世の中には80年代のロックをボロクソに貶す輩が結構多いのだが、そんな声を聞く度に悲しくなってしまう。 それぞれが、それぞれの時代に強く心をうたれた音に、他人が批判を加えるのはおかしいと思う。 そりゃぁ私だって、J-POPとかなんとかっていう昨今の日本の音楽の在り方は、あまりに安易な没個性サウンドだとかは思ったりしているのだが、それはあくまで個人の感情であって、公の場や、それらを愛している人に対して発言するつもりはない。 ただねぇ、日本の音楽シーンで、もう少し創造力溢れる超個性的なサウンドを頑なに築きあげてゆくようなミュージシャンが評価されるようにはならないものかとは思う。 皆イギリスで5〜10年前に流行った音を真似て、早口の日本語をのせているようにしか感じないもの。 それはそれでいいから、もっと職人気質っぽい人達が脚光を浴びるようになって欲しいなぁ。
例えば、私が最も傾倒しているイギリスのDEPECHE MODEのように、他の誰の音とも違い、流行の音など知ったことかい、と頑なにオリジナルサウンドを追及してゆくようなバンドってどこかにいないものか知らん。 そのDEPECHE
MODEなんですが、いいですよぉ(笑)。 初期こそドイツ〜イギリスの典型的なエレクトリックポップグループだったけど、私が聴き始めた中期(「Everything
Counts」辺り)からは超個性的な音を創りあげ、90年代に入ってからは全米でもNo1 ヒットをとばす等、ちょっとメジャーになったのがファンとしては複雑な心境なんだけど(笑)、他ではちょっと聴けないサウンドです。 斬新な音を求めていらっしゃる方でシンセサイザーが嫌いじゃなかったら、お勧めですよ。
- 2000.08.13
- 8月8日にアクセス数が2000件を超えた。最近は仕事が忙しく、散策時間があまりとれずに、しかも愛犬を連れているということもあって、以前ほどたくさん写真が撮れない。でもできる限り毎日更新したいので、不本意な画像を載せざるをえないというジレンマがあった。そんなおり、本屋でパラパラとめくった「YAHOO!JAPAN」の9月号の「夏にオススメのホームページはここだ!」っていうコーナーに、なんと「虫撮り散策記」が紹介されていた。しかも四つ星! とても嬉しかったですよ。
昆虫の専門知識もなく、写真もド素人。パソコンに関してもビギナーの域を出ない私の、拙いホームページが全国紙で紹介してもらえるとは。 周囲から認めてもらえるってのはホントに嬉しいことだ。この嬉しさを通して、他人の存在、力を認めてゆく姿勢の大切さをあらためて思う。 若い時分の私は(今も若いつもりだけど(笑))けっこう悪いことをしてみたり、突っ張ってみたりしたこともあったが、今にして思えばその行動の要因の中には「俺の存在を認めてくれ!」っていうアピールがあったのかな?って思う。 周囲から認めてもらえない、自分の居場所が無い、ってのはとても辛いことだ。 昨今の少年犯罪の中にも、そういった側面があるのかもしれない。
- 2000.07.25
- 昨夜、友人宅で飲んでいて、「アクセス何件になったかねぇ」と友人がiMacに電源を入れ、開いてみると、なんとちょうど1000件だった。5日前に「Yahoo!」に登録されたのだが、その影響力の大きさを痛感した。
- ところで、3、4日前に、中学の時の同級生が訪ねて来た。彼には小学校3年生の息子がいて、この夏二人で雑木林にクワガタを採りに行ったそうだ。4匹採れたと言っていた。そして、「俺達の頃と違って、今の子供は山に虫採りに行かなくなった。学校も子供だけで山や川、ため池等で遊ぶことを禁止している。」と歎いていた。
今日、カブトムシやクワガタが欲しいと思えば、ペットショップやスーパーなどでお金を払えば簡単に手に入る。ある意味、とても便利な世の中になったもんだ。 確かに山や川には危険がある。マムシやスズメバチに襲われれば、命をおとす危険もある。川で溺れる可能性もある。 だからといって、遊んではいけないと禁止するのはどうであろうか。 危険ということであれば、街中の道路沿いの方がよっぽど危険ではないかと思う。 私の憶測であるが、山の楽しさ、恐さ、素晴らしさを知らずに育つ子の中には、将来山を切り崩すことに何のためらいも持たない者が出てくるのではなかろうか? 川や海の楽しさ、恐さ、素晴らしさを知らずに育つ子の中には、川をコンクリート張りにし、海を埋め立てることに、何のためらいも持たない者が出てくるのではなかろうか? 偏見かもしれないが、今日の日本経済を動かしている政治家やそこに群がる業者、また支持する者の多くは、かつて自分達を楽しませ、潤わせてくれた自然という素晴らしい世界を忘れてしまったのではなかろうか?
日本、いや、世界はもうかなり危ないところまできていると思う。にも拘わらず、対前年比、対バブル期という比較の中で、不況だ、不景気だと声高に叫び、相も変わらずあまり有益とも思えない公共事業投資に莫大な予算を計上し、長期的展望にたてば、何よりも有益である資源そのものを、取り返しのつかないところまで破壊している。あたかも徹夜明けの体に、スタミナドリンクを流し込み、無理やり働くようなものだ。そのツケは必ず近い将来やってくるだろう。
そろそろ便利で快適、物質的な豊かさを求めるのをやめなければならないのかもしれない。そのためには、我々大人が変わるしかないだろう。欲しい物を、全てお金で手に入れるという幼児体験は、きっとその子に「金が全て」という印象を根づかせてしまうだろう。
- 2000.07.03
- 「虫撮り散策記」を公開して2週間、アクセスカウンタは200件を超えた。少ないようではあるが、私個人としては驚く程多い。今のところマメに更新できてるし、大きな問題も発生してない。
この2週間、愛犬との散策とは別に、妻とも何度か散策した。(愛妻と書けよ!(^^ゞ)ある時はホタルを見に行ったり、雑木林を見たりした。 気になることがある。 大人の行動である。
ホタルを見に行った時は、大の大人が捕虫網を持ってホタルを追いかけ回していたのだ。人それぞれの立場はあろう。しかし、周りにはホタルの乱舞を静かに楽しんでいる人達もいるのだ。子供がするのなら微笑ましい。しかし、大人だけの集団が歓声をあげて、ホタルの群を蹴散らしてゆく様はいただけない。
また、雑木林に行っても大人の集団に出会うことがある(私も大人なんだけど)。手には何やら物騒な道具を持っている。樹液の出ているクヌギの木にたどり着くと、道具の意味が分かった。クヌギの木は傷だらけになっているのだ。おそらく洞の中に潜り込んだクワガタか何かをほじくり出すのに、幹を削り、砕いたのだろう。しかも木の根元は掘り返したままである。そして、ホタルの時もそうだが、日中それらの場所に行ってみると、大抵空き缶やらタバコの吸い殻が散乱している。モラルがなさすぎるのではないか。
私も虫は好きだし、ジュースやビールを飲み、タバコも吸う。しかし他人への迷惑、いや、何より昆虫達、自然への迷惑を考慮することは大切だと思う。やっていい事、悪い事というきまりは、厳密には法律しかない。だからといって、法律を犯しさえしなければ何をやってもいいということでは、あまりにお粗末だ。もちろん、私自身の行動を迷惑と思っている人がいるかもしれない。だからその可能性のあることを忘れぬようにしたい。「自分は正しい」と自らの行為を正当化しだすと、人間は思いもよらない暴挙にでてしまうものだから・・・。
- 2000.06.18
- ついにホームページを開設してしまった。パソコンを始めて3年と少々。いつかは自分のホームページを作ってみたいなと思っていたが、中々題材が決まらない。「なんでもいいよ」と知人・友人は言ってくれるのだが、さてどうしたものかと思案の日々が続いたのである。
私は幼少の頃から、割と八方美人的に様々なものに興味を抱いてしまう傾向があった。ものごころついて、まず身近にいた虫に興味を持った。その頃はなんと言ってもカブトムシ。自宅裏の畑に積んであった堆肥の中から丸々と太った幼虫が、ゴロゴロと出てきたときの感動、近所の年上の子に連れられて山に入って、樹液に群がるカナブンやスズメバチの中にいるのを見つけた時の感動など、今でも昨日のように思い出せる。
その後はお決まりの、ウルトラマンシリーズやマジンガーZ等のTVヒーロー物に熱中し、漫画を描いてみたりした。その漫画で流行った「サーキットの狼」から、スーパーカーブームに乗っかってフェラーリに憧れたものである。また、小学校時代にクラシック音楽を聴くのが好きだったのだが、中学くらいからロックを聴き始め、TOTOとかボストンにハマってしまい、バンドに目覚めた。ギター→ベース→ドラムと渡り歩き、行き着いたのはキーボード。社会人になってからもシンセをジャンジャン買って(この頃車にも凝ってたなぁ)友人とライブハウスなんかに出ることもあった。一時はプロを目指そうか、って時もあったけど、やはり情熱が足りなかったんだろう、次第に気持ちも萎えてしまって、この3年間はすっかりMacにハマってしまい、シンセはホコリをかぶってる。ちょうどその頃から少年時代に熱中した昆虫が懐かしく、夏になれば雑木林を散策するようになって3年。愛犬の散歩のおかげもあって、かなり深みにはまりつつある。
私に限らず、最近いい大人が虫を追っかける傾向が強いらしい。私の場合は、おそらく少年時代の原風景を求めているのではないかと思う。ここ数年の間に、どんどん失われている自然環境の姿に一抹の不安と寂しさを覚える。もっと豊かに(物質的に)、便利にと、削り取られ、崩され、整地されていく、かつて遊んだ山や川。一体何のためにそこまでやらねばならないのか。もっと共存してゆけるいい方法があるのではないのか、等。様々な思いが交錯する中で、まだ残っているその聖地を残してゆきたいという思いが日々強くなってきた。しかし、私には政治家や土建屋とやり合う力はないし、○○運動とか団体に所属してゆけるほど器用でもない。カメラ片手に、犬や近所の小学生達と過ごす感動の瞬間を記録し、少しでも多くの人々に関心を持ってもらいたいと思う。ショベルカーがあっという間に削り取る、山の表面のほんのわずかな肥えた黒い土。その土ができるのに何百年、何千年もかかっているという、生命の歴史の重さを共に感じてゆきたい。そんな気持ちもこめて「虫撮り散策記」を運営してゆきたいと思う。・・・って、ちょっとカッチョイイこと言い過ぎね(^^ゞ。
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