2006.11.02 カブトムシ R4
娘達が飼っているカブトムシ達が、まだ健在だ。 少年の頃、毎年飼っていたが、11月まで生きていたことはない。 今日のニュースによると、ここ山口県では、先月の平均気温が過去最高だったらしく、それも関係あるのかな?と思った。
長生きはけっこうなことだが、私としては産卵が終った時点で山に逃がしてやりたかった。 今でも逃がしてやりたいが、おそらく屋外だとすぐに死んでしまうだろう。 「どちらが幸せなんだろうか」と考えながら、「待てよ、私は彼等の幸せを沙汰する立場にあるのだろうか?」と自問した。 今 親類に危篤状態の者がいる。 何年も延命治療を受けている状態だ。 果たしてその状態が幸せと言えるのだろうか? 妻とは「延命治療はしないで」と、互いに話す。 それで納得できたかのように思ったが、先月 大切な友人が、交通事故で重体だ。 もしも家族がそのような状況になった時、「延命はしないで下さい」と言えるだろうか。 結論は出ない。 出るはずがない。 何故なら、私には「絶対に正しい判断」など不可能だからだ。 相対の世界においては、普遍的な判断基準などありえない。 「殺人はいけない」という常識も、時や場所が変われば「聖なる戦い」と称賛される。 何が善で、何が悪なのか、私には分かり得ないだろう。 そこに「絶対に遇う」ということの重要さがある。 
などと考え始めたら止まらなくなるので、結局カブトムシをどうするのかというと、捕まえ閉じこめた罪深さを受けとめつつ、責任をもって精一杯お世話させて頂くしかない、ということだ。
 TOPに戻る