2006.10.11 エンマコオロギ FZ50
閻魔大王に顔が似ているから、と命名されたエンマコオロギ。 恐ろしげな名前だが、その鳴き声は「コロコロリ〜」と美しい。
ところで今日、娘が保育園で右手首辺りを骨折した。 不注意で台から落ちて手をついたそうだ。 とにかく気持ちが先走る娘だったので、いつかは大怪我するぞと、常々妻と話していたようなことだ。 治療中、痛みに耐えかねて悲鳴をあげる娘の姿に、深く心が痛みこちらまで泣きそうになった。 10日後に運動会が控えていることを考えると、本人には気の毒ではあるが、それはそれで得難い貴重な経験だと思う。  
世の中には、似たような状況において、責任の所在を園や学校に転嫁する方もいらっしゃるようだ。 どうかと思う。 だって完璧な環境など、世の中には存在し得ないのだ。 たとえ自宅に居たって、核シェルターの中に居たって「絶対に安全」ということは有り得ない。 だから常に責任の所在は本人にあり、また親にあるべきだと思う。 本来家庭で行なうべき躾けまで園や学校に押し付け、いざ問題が起こるとすぐに訴えて、慰謝料を請求する方々。 だったら自宅から1歩も出すなよ!と言いたくなる。 もちろん様々な状況があり、中には悪質な問題を起こす教師がいることも事実だ。 でも、何でもかんでも「裁判」して「金」で決着つけるってのは どうなんだろう? 
辞典によると閻魔大王というのは、佛教に登場する「亡者の罪に判決を下すという地獄の王」となっている。 しかし佛教が本来説く「地獄」とは、閻魔大王とか誰かが裁いて、罰を与えるために用意された世界ではない。 私自身が日常生活の中で作り上げて、自分で堕ちてゆく世界だ。 自業自得、自分でまいた種、ということなのだ。 人生において不都合が生じた時に、他を責めるのではなく、自らを深く省みて、その奥にある意味を受けとめてゆくことが大事だと思う。 とにかく昨今は「自分が損をしないために、他に責任転嫁する」という自己責任を放棄した世の中になってしまったような気がしてならない。 あらら? こんな私の所感も、世相に対する「裁き」になってるじゃないか・・・。
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