2006.06.19 モノサシトンボ R4
今日は今年1番の暑さだったんじゃなかろうか。 日中はきっと30度近くだったと思う。 汗をかきながら田んぼから戻って、祖父母の畑作業を手伝っている娘Yの様子を見に行った。 けなげに手伝いをしている娘Yだが、どうやら秋に収穫を迎えるサツマイモ目当ての行動のようだ。 
草ひきをする娘に「昔の人は“ごめんね”という気持ちで、草をひいてたんだよ」と話すと、すかさず「どうして?」と聞き返してくる。 「だって、もしも草に口があったら、きっと抜かれる時に“やめてくれ〜!”って叫ぶだろうから、草も いのち だもんな」と言うと、「じゃぁ草ひきやめる」という娘。 「でも、それじゃぁ美味しいイモができないかもしれないよ」の言葉に、再び草ひきを始める単純な娘であった。 
私自身の日常生活を振り返ってみると、まさにこんな感じである。 悪いと知りつつも、欲という単純な衝動に駆られての行動。 しかし大切なのは「悪いと知ること」だと思う。 だって知らなかったらブレーキが効かないから。 悪の自覚を持たない正義の主張の衝突の成れの果てが戦争だ。 また、悪と知るところに“恥”というものも育まれると思う。 「金儲けが悪いことですか?」と臆面もなく、公共の電波を通じて発言した人がいるが、金儲け云々よりも“恥”という感覚が欠如しているのではなかろうか。 
なんてこと考えていたら、側の葉上にモノサシトンボがとまっているのに気がついた。 「何をブツブツ難しげな事を考えているのやら・・・」とでも言いたそうな呆れたような表情に、自分のことを棚上げして、正義の立場で批判している我が身が恥ずかしくなった。
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