2005.11.12 ミノウスバ FZ30
更新できなかった昨日までの3日間、兵庫県の赤穂市というところに出張していた。 帰宅した昨夜は雨だったが、今日は青空の広がる穏やかな天候。 裏の畑では先週掲載したミノウスバが、マユミの木に十数匹集まっていて、それぞれが枝に産卵していた。
播州の俳人で、瓢水という方がおられたが、瓢水の残したこんな句がある
 浜までは 海女も蓑きる 時雨れかな
海女さんが仕事に出かけようと表に出ると、時雨れていた。 普通ならそこで、「どうせ仕事場(浜)で海に潜るんだから、このまま濡れて行ってもイイや」と走って行きそうなところ、この海女さんは、一旦家の中に戻り、蓑(みの)を着て仕事場まで行ったという句だ。 
確かに仕事場に行けば濡れるんだけど、そこまでの道中、せめて体を濡らすまい。 ここまでの人生を支えてくれた この体、大切にいたわりながら過ごさせていただこう。 という心持ちだろうか。
現代日本人は「死んだら終い」という意識が強いそうだ。(そのくせ“タタリ”や迷信に振り回されている) しかし、「どうせ死ぬんだから」と生きることは、刹那的かつ享楽的な人生観に陥ってしまいかねない。 後のことを深くかんがえずに、目先のことに執心する、無責任な生き方になる危険性を伴う。 戦後の政策がまさにそうだったのではなかろうか。 「発展」の大義名分のもと、山を削り、海を埋め、川を汚してきた。 子や孫が受け継いでゆくべきものを、無責任に破壊してきたのが我々のような気がする。
 浜までは 海女も蓑きる 時雨れかな
今ここに歩ませてもらっている この いのち。 「どうせ」と投げ出すのではく、日々精一杯大切に過ごしたいものだ。 蓑を着たようなミノウスバが、無心に卵を産み付けている姿を見ながら、そんなことを思った。
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