2005.02.13 霜柱 E5000
寒い朝が続いている。 霜で白くなった庭の一角に、霜柱ができているのを見つけたので、間もなく4歳になる娘達に教えてやった。 おそらく初めて認識するであろう霜柱に、「これって何?」「これは霜柱って言うんだ」、「霜柱って何?」「う〜ん 氷だよ」、「なんでここに氷があるの?」「え〜っとねぇ、土の中には水があるから、それが朝寒くて氷になったんよ」、「えぇ!? 水なんか無いよ」と言いながら、側にあった棒切れで地面を掘り始めた娘・・・イイなぁ、この純粋な行動力。 地中の水分が凍ってできるのが霜柱、大気中の水分が凍ってできるのが霜、地中にも大気中にも水が存在していることを証明している。 しかしながら3歳11ヶ月の娘は、にわかには受け入れ難い様子だった。 何故なら普段は目に見えないからだ。 金子みすゞの「星とたんぽぽ」という詩を思いだした。
  青いお空の底ふかく
  海の小石のそのように
  夜がくるまで沈んでる
  晝のお星は眼にみえぬ
    見えぬけれどもあるんだよ
    見えぬものでもあるんだよ
  散ってすがれたたんぽぽの
  瓦のすきに、だァまって
  春のくるまでかくれてる
  つよいその根は眼にみえぬ
    見えぬけれどもあるんだよ
    見えぬものでもあるんだよ
私達は目に見えるもの、科学で証明されたもの、自分の都合・価値観に合うものなどは簡単に認めるが、そうでないものを認めるのは容易ではない。 それは井の中の蛙が、大海の存在を知らないようなもので、自己中心的な側面がある。 私の知っているものは高が知れている。 世界は、宇宙はもっともっと、果てしなく深いものだ。 目に見えぬが、確かにある大きな何かを感じてゆくところに、本当の謙虚さというものが出てくるのだろうし、そういう感覚が今の私達に必要なのではないかと思っている。
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