2004.06.03 ベニボタル E5000
3日間の出張研修を終えて、ヘトヘトになって帰宅した。 この間の天候は、梅雨入りしたとは思えぬ晴天で、さぞや多くの虫達が活動していることだろうと想像しながら、屋内に缶詰めだった。 この晴れ晴れとした天候とは対照的に、世間は小学生の殺人事件の話題で騒然としている。 事件にも驚いたが、新聞記事にあった「市内の校長らが沈痛な表情で市内の中学校に集合し、対応を検討」の中身にもっと驚いた。 検討された時の意見に「カッターナイフ、ナイフなど不要なものは持参させないことを徹底すべき」というのがあったからだ。 なんと短絡的な認識だろう。 凶器がなければ事件が防げるとでも言われるのだろうか? 確かに衝動的な行為においては、多少の時間稼ぎができるかもしれないが、それでは何も解決しない。 殺害意識があり、僅かでも計画性があれば、鉛筆だって凶器になるだろう。 また「命の大切さを改めて言い聞かせねば」という意見も出たようだが、これにも違和感を感じた。 誰に言い聞かせるのか? 子供達に言い聞かせるのか? もしそうならこれも思慮浅い意見だ。 「最近の子供は・・・」という声をテレビや新聞等で見聞きするが、それはつまり「私達の頃はこんなにひどくなかった」という自己肯定意識があるように感じる。 しかしながら子供達の感覚・行動に影響を与えてきたのは、私達周囲の大人達だ。 もしも今の子供達が命の大切さを知らないのだとすると、その原因はそのように育ててきた私達大人が命の大切さを損なうような価値観でもって生活してきたからではなかろうか? とすれば、「命の大切さ」を聞かねばならないのは、子供達よりもむしろ周囲の大人達ではないかと思う。 それは保護者はもちろんのこと、「言い聞かせる」などという表現から窺えるように、自己肯定意識の強いセンセイ方にこそ学んで頂きたいと思う。 と偉そうなこと書いている私自身が、まずは学ばねばならないのは言うまでもない。
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