2003.09.29 エサキモンキツノカメムシ E5000
産んだ卵を護るカメムシとして有名なエサキモンキツノカメムシ。 モンキツノカメムシと酷似しているが、背中の白い模様がハート型になっているのが見分けのポイントだ。 
以前観たテレビで、産んだ卵を護っているシーンが紹介されていた。 そして度々やってくるアリ等の外敵からの防御に精根尽き果てたのだろうか、卵が孵化した後もその場から動くことなく、そのまま息絶えてしまった母親カメムシ・・・。 その姿には、親(特に母親)の慈悲というものを感じる。 この子のためならば、我が身はどうなろうとも、そうせずにはおれないという、一方的なはたらきだ。 
以前読んだ『原子雲の下に』(永井隆著)で紹介されていた萩野美智子さんの体験を思い出す。 長崎に原爆が落された時、当時10歳だった美智子さんは、兄弟とともに家の下敷きになったそうだ。 水兵さん達によって救出されるが、2歳の妹はハリの下敷きになって亡き狂っている。 4〜5人の水兵さんや、隣家のおじさん達がハリを動かそうとするが、ビクともせず、皆去っていった。 そこへほとんど丸裸で全身紫色に火傷した姿になった母親が、畑から矢のような勢いでかけつけ、ハリの一部にわずかな隙間があるのを見つけ、そこへ肩を入れて全身に力を込めると、男達では動かなかったハリがバリバリと音をたてて浮き上がり、妹は救出された。 皆が安堵の鳴き声をあげるのを聞いて、母親はヘタヘタと座り込んでしまった。 そして次の言葉で美智子さんは文章を結ばれる。 「お母さんは、苦しみはじめ、もだえもだえてその晩、死にました」
子を思う母親の姿とは、なんと凄まじく、尊いものだろう。 以前も書いたが、「いのちはなぜ尊いのですか?」と問われたら、私は「願われている いのち だから尊い」と答える。 願われ、そのはたらきかけの中に育まれ、そして意味付けられている いのち ・・・人も動物も虫も、皆それぞれに願われている尊い いのち だ。 私自身は「親」とよばれる立場になって、果たしてどれほどの覚悟で子供達にはたらきかけているだろうか? 自分の欲や楽しみ等を優先させることが少なくないのではなかろうか? 深く考えさせられるエサキモンキツノカメムシとの出会いであった。
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