2001.12.24 ナナホシテントウ
庭先のオニアザミの葉上で、ナナホシテントウが日向ぼっこをしていた。 個体差なのか季節によるものなのかは分からないが、本来朱色の羽が、色褪せたような薄橙色だ。 成虫で冬を越すナナホシテントウは、雪が積もる頃まで見かけることができる。
ところで今日はクリスマスイヴ。 娘達の好きなNHKの「おかぁさんといっしょ」等もクリスマスバージョンで盛り上がっていた。 しかし偏屈な私は、昨今の国内でのクリスマスの盛り上がり方に違和感を覚えている。 本来キリスト教の宗教行事であるクリスマスに、日本人は何故こんなに入れ込んでいるのだろう。 日本最大の国民的行事になってしまったクリスマスに対して、今更理由を尋ねるのはナンセンスと言われるかもしれないが、一体まともな返答がどれくらい得られるものか・・・。 「楽しみにしている子供達の夢を壊すようなことを言うな」とお叱りを受けるかもしれないが、企業やマスコミが作り上げた中身の無い夢ではないのか。 「楽しいんだからいいじゃないか、余計なお世話だ」と言われるかもしれないが、その「楽しければいい」という大人達の感覚が、子供達に与える影響は深刻だ。 現に今時の少年達に接すると「楽しければ何やってもいいんだ(他人を傷つけったて)」という風潮を感じる時がある。 以前「これも国際化の一端で」などと寝ぼけたことを書いてる雑誌を見たが、「どこが国際化やねん!」と突っ込みたくなった。 かつて日本は、長い歴史の中で多くの外国文化を輸入してきた。 我々が今使っている漢字もそうだ。 そして輸入するにあたって、そのものの本質を深く理解した上で、さらに独自の文化を融合させて高次元な文化や物を作り上げてきた。 が、クリスマスに関しては、表層部分だけを真似て、さらに俗化させて次元の低い単なるお祭り騒ぎになってしまっているように感じる。 キリスト教学や文化への理解など殆ど感じることがない。 これを国際化などと言うと、外国人に笑われてしまう。 
私は何も「クリスマスをするな」と言ってるつもりはない。 子供達の夢を壊すつもりもない。 信者の方々によって教会で行われるミサは、厳かで意味深いものだ。 ただ、子供達の夢はどうしても親や大人達によって作られる部分が大きいから、欲にまみれた空っぽのイベントに安易に夢を託す前に、物事の意味というか本質を尋ねる作業が必要だと強く感じる。 クリスマスに限らず、文化や教育など様々な分野においてもしかりである。 
偉そうなことを長々と書いてしまいましたが、自己反省を込めてどうしても書きたくなりました。 最後まで読んで下さった方々、感謝です。 
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