2001.05.21 セグロアシナガバチ
待望の雨が降っている。 ゴールデンウィーク以降、夏日が続いた畑には恵みの雨だ。 しかし、仕事で角島に行く私にとっては、あまり嬉しくなかった。 この最近3度ほど角島に行ったが、いずれも雨だったため、虫に出会うチャンスがない。 しかたなく自宅の車庫のトタン屋根に巣を作っているセグロアシナガバチを撮ってみた。 巣の中には既に大きな幼虫がいた。
話は変わるが、昨日ブラックバスの放流について少し書いたのだが、今日NHKのクローズアップ現代で、共通するものを採り上げていた。 それは孟宗竹だ。 近年、全国的に竹林が拡大しているそうだ。 私の町も例外ではない。 その拡大している竹林は孟宗竹という種類の竹で、この竹は江戸時代に中国から持ってきたものらしい。 大きくて成長の早い孟宗竹は利益率が高いということで日本に輸入したそうだが、近年の農林業者の高齢化や、竹自体の価格下落などによって、手入れをする者が減っている。 手入れをしない孟宗竹林は周辺の畑や山に繁殖し、農作物への被害、そして土砂崩れの原因の一つにもなっているそうだ。 目先の欲を優先して、無秩序に生態系を狂わせた結果、自らが・・・というか子孫が苦しんでいるという図式は、なにも孟宗竹やブラックバスに限らず、最近問題になっている公共事業による自然破壊や原発問題などにもあてはまる。
長くなるがクローズアップ現代を観ていてもう一つ気になったことがある。 出演していた作家の荒俣宏氏の発言だ。 「竹は草と木のいいところを合わせ持ったすごい植物なんですよ。 神が我々人間に与えてくれたすごいものです」・・・神が人間に与えてくれた? 何をバカなことを! そうやって何でもかんでも人間中心に考えて、それをあたりまえとしてしまうところに、今日の様々な諸問題の根深いものがあるんではなかろうか。 孟宗竹も、ブラックバスも、セグロアシナガバチも、人間のために与えられた生命など一つもないはずだ。 全て等しく尊い“いのち”だと思う。 実際にはそれらの“いのち”を奪って生きている私だけど、自分に都合よく与えられた、などという傲慢さをあたりまえとは思いたくないものだ。  
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